デンさん、シカゴを去る

2014年1月7日、突如としてTLに舞い込んできた一つのツイートに頭が真っ白になりました。

ルオル・デン(以下デンさん)がCLEのお荷物と化していたアンドリュー・バイナムと将来の3つの指名権及びスワップ権とのトレードにより、長年親しんだシカゴを去り、同ディビジョンのライバルの本拠地クリーブランドへと旅立っていきました。バイナムの動向は、直前にLALのパウ・ガソルとのトレードが画策されるという噂もあったことから、CHIには関係のない話だと高をくくっていました。しかし、それがまさに青天の霹靂となってCHIに降りかかることになろうとは、予想だにしていませんでした。

今季、デンさんはチーム史上5人目となる10年選手として2014年シーズンを迎えました。これはチームが創設された1966年以来、長い歴史を持つ球団史上においてジョーダンやピッペン等だけが成し得た金字塔でした。今季は契約最終年を迎えトレードの噂もあった中で、デンさん自身が残留の意向を示していたこともあり、暫くCHIは、ローズこそいないものの依然としてデンさんはチームの中心として今季も戦っていくものと思っていた矢先の出来事でした。

このショックは相当大きいものでした。例を挙げるならば、最初のローズのACL断裂を目の当たりにした時と並ぶぐらいの衝撃でした。今季、そのローズはPOR戦で再び膝を故障し全休が見込まれる事態に陥りましたが、いずれ状態が回復すればローズは復帰することでしょう。しかし、トレードとなれば二度とデンさんがユナイテッドセンターをホームとして戦う姿を見れなくなるという意味では、今季のローズの怪我以上に或る意味で画期的な出来事でした。デンさんが再びCHIに戻る可能性はゼロではないでしょうが、再契約の交渉も頓挫し、トレード直前にガー・フォアマンGMから言い渡された3年$30Mという条件を蹴った上でのこの移籍劇でしたから、デンさん復帰のシナリオを容易に描くことはできません。

デンさんと交換でCHIに移籍したバイナムは、1秒もジャージに袖を通すことなく解雇され、CHIには将来の補強のカギとなる指名権とスワップ権が残されました。しかし、デンさんの移籍がファンの心に残したものは、大きな、あまりにも大きな「喪失感」でした。

過去を振り返ると、トム・ティボドーHCが2011年シーズンにCHIの指揮を執り始めたことは最近のCHIの歴史、そしてデンさんのキャリアの中では大きな画期となりました。それ以来、ローズはリーグを代表する選手としてMVPに輝き、CHIはディフェンスとリバウンドに秀でたチームとして強豪チームの一つに数えられるまでになりました。そしてその画期はルオル・デンをデンさんと呼ぶに至らしめる変化をも生じさせました。

2011年シーズン、ティボドー自身初のHCに就任したこともあり、その手腕は未知数でした。しかしその手腕の中でファンの目を引くものがありました。

それは、デンさんの長いプレイングタイムでした。

観戦するファンは、あまりにその長いプレイングタイムを慮っていつの間にか #deng_bench といハッシュタグを勝手に作り、毎試合長いプレイングタイムに耐えて精勤を続ける彼を「デンさん」と称するようになりました。結局、デンさんはRS82試合全てに出場し、尚且つ3208分、1試合平均39.1分というプレイングタイムを記録しました。それも攻守でCHIの要として八面六臂の活躍をしながらでした。その精勤ぶり、チームへの貢献度は敬称をつけて当然のものであると感じられました。2012年シーズンには左手靭帯を断裂しながらも54試合に出場し、平均出場時間では39.4分でついにリーグ1位となりました。以後、その長いプレイングタイムはデンさんの代名詞となり、その敬称も一部のCHIファンから周りへと浸透していきました。

私はデンさんがチームを去ったことによって生じた大きな喪失感は、そのプレイングタイムと不可分ではないと感じています。なぜなら、チームの画期となった2011年シーズンから今季に至るまで、チームの柱はローズではありましたが、「では、その間最もコート上でプレイし、ファンとして声援を送った選手は誰か」と問うた時に思い浮かぶのは、やはりデンさんの姿だからです。

2011年シーズンから今季まで、ローズのプレイングタイムは計4712分。一方、デンさんのCHI在籍時までのプレイングタイムは計9100分にも及び、ローズの倍近くの時間コートに立っていたことがわかります。そして、シーズン62勝をあげてカンファレンス・ファイナルまで進出したCHI復活を世に知らしめた2011年。短縮シーズンの中、ローズが度重なる怪我に苦しんだものの再びRSでは東の首位として君臨した2012年。ローズ全休というハンデの負いつつもMIAの歴史的連勝記録に歯止めをかけ、POではBKNを相手にアップセットを演じた2013年。いずれのシーズン、いずれのゲーム、それら一つ一つの場面を思い返した時、ファンが心配するほどの精勤を黙々とこなしてチームを牽引する姿がやはりそこにはあるのです。

トレード決定後、デンさんはティボドーHC就任をきっかけに再びバスケットボールを楽しめるようになったと語り、シカゴを去っていきました。私もCHIファンとして後期3連覇時代以来の興奮を呼び起されたのはティボドーHC就任がきっかけでした。しかし興奮しながらもデンさんの精勤を慮っていましたが、デンさん自身はそんなことを苦にせずバスケットボールを楽しんでいたのだということが判って喜ばしく思いました。おそらく、CHIの選手の中でも最もコートに立ち続けてプレイしてきたデンさんは、最もティボドーHC指揮下でのバスケットボールを楽しんだ選手であると言っていいでしょう。しかし今となっては移籍先でもデンさんが引き続きバスケットボールを楽しんでプレイできることを祈るばかりです。

かつて、ジョーダンの盟友であったチャールズ・オークリーがNYKにトレードされた時、ジョーダンはフロントと激しく衝突しましたが、その後結果的に91年の初優勝が成し遂げられました。同様に今回の悲劇が糧となり、デンさん無き新たな顔ぶれのCHIが栄冠に輝くことができれば、この喪失感も癒されることでしょう。しかし、将来チームが7つ目の優勝トロフィーを掲げる時、その過程にはデンさんの精勤と貢献があったことはいつまでも忘れずにいたいと思います。

デンさん、いままでありがとうございました。