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ブライアン・スカラブリニのセルティックス(解説)復帰声明文 訳

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ブライアン・スカラブリニのセルティックス(解説)復帰声明文 訳

レブロンの訳をやってしまった手前、こんなネタをやられたらこれも訳さないといけないと勝手に責任を感じて訳してみました。余計な事しやがって。読み返していないので誤字脱字あったらすみませんmm

元記事:EXCLUSIVE: “I’m coming home” by Brian Scalabrine (as told by Brian Scalabrine)

自分がどこでバスケをするか誰にも気にされていなかったころ、私はワシントン州のイナムクローに住む子供だった。そこを歩き回り、そこで走り回り、そこで6歳の時新聞配達をした。自分の心の中でとても大切な場所なんだ。セルティックスと契約したその時、ここが私にとって新しいホームになる事を確信した。ほとんどの人が私みたいな人達だったんだ。全力で仕事をし、全力で遊び、自分達のスポーツチームに持っている情熱は世界中どことも比べ物に鳴らないものだった。私もファン同様の情熱を自分のチームに対して持っていた。言って見れば私もファンみたいなものだったのかもしれない。唯一違うのはコートサイドに無料で座れて、残り2分で20点差くらいで買っていれば試合に出させてもらえたくらいだ。ええっとなんだっけ、ああ、素晴らしきアメリカの街ボストン。ボストンでは人々の情熱に圧倒されてしまう事もある。でもそれが私を掻き立てるんだ。セルティックスはラリー・バードの80年代以来優勝から遠ざかっていたから、自分が出来るうちに彼らに希望を与えたいと思ったんだ。自分が出来るうちに、彼らを奮い立たせたかった。ボストンと私の関係はバスケットボールよりも大きなものになった。4年前にFAとしてボストンを去った時にはそれに気づく事ができなかった。今はできる。

2010年にセルティックスを裏切ってシカゴ・ブルズと契約したのを覚えているかい?いや実際はエインジに残留させてと懇願したんだけど彼には「頑張ってね」と言われてしまった。私は「とても辛いな〜」って感じたんだ。自分が5年間の歳月をかけて作り上げてきたものを去ろうとしていたんだ。2008年以来自分の食事のために支払いなんてした事なかった。これが全部無くなってしまったらどうしよう?しかしもしもう一度全てやり直せるならば、それでも去っていただろう。シカゴは自分にとって、大学院のような感じだったんだ。MBAはノースウェスタン大(※シカゴと同じイリノイ州にある大学です)で取得しようといつも思っていたんだ。この4年間で多才な自分をうまく示すための履歴書に厚みが増した。より良い選手になり、より良いコーチになり、より良いアナウンサーになり、より良いマンバになった。4つのチームで過ごした時間で多くを学ぶ事が出来た。あ、ロックアウトのせいでイタリアでプレイしていたのも含めれば5つだ。なんでロックアウトしたんだっけ?シカゴはこれからもずっと、自分にとって第三の故郷だ。オークランドは第四の故郷、あ、でもオークランドの繁華街というよりも郊外の方かな。あそこであった経験無くしては、今自分が出来ている事は可能じゃなかった。

シカゴにいったのはティブスとD-Roseとジョアキム・ノアのクレイジーなエナジーがあったからだ。というか国内では唯一のオファーだった。ジョルダーノ・ピッツァの常連になれたのは最高だった、また無料で食べれたよ。ファンも大好きだったし、ステイシー・キングが生み出したホワイト・マンバも最高だった。シカゴは正に自分に必要なもので、一緒に集まれば何か素晴らしい物が作り出せるだろうと信じていたんだ。しかし目的を達成する事は出来なかった。なのでそこから自分の才能をゴールデン・ステイトに持って行き、一緒に集まれば何か素晴らしい物が作り出せるだろうと信じていたんだ。でもそこからDリーグに送られちゃってさ、テキサス州のヒダルゴからファーストクラスの無い普通の飛行機でオグニェン・クズミッチっていう218cmもあるセンターの隣に座る日々だった。そこではどれだけ一緒に集まっても特に何か素晴らしい事は起きてなかったね。その時だった、そろそろ家に帰らないとなって思ったのは。

このエッセイは、誰にも邪魔されないまま自分の事を説明したいからと…最近あった他のNBAの契約と全く同じ事をして注目浴びようかな〜なんて思って書いているんだ。自分とマーク・ジャクソンは仲が悪かったとか、ブルズとウォリアーズは充分な戦力を揃える事が出来なかったなんて誰にも思って欲しくない…ていうかブライアン・スカラブリニが今何やってるか気になってる人なんて実際いるの?それは絶対に違う。あとついでだから言っておくけど、私はウォリアーズでプレイしていないよ、コーチだったんだよ、みんな私がクリップボード持ってるの見てなかったの?なんで皆わかってくれないの、クリップボード持ってたから私は本当のコーチだったんだよ。

記者会見はやるかもしれない、そしてパーティーは絶対にやる。ボストン中招待するよ。そしてそれが終わったら、仕事に取りかかるまでまだあと数ヶ月あるな。

ボストンを去った時、私は達成すべき任務についていた。もう一度優勝を求めていた。もう一度優勝パレードに参加してどでかいシャンパンボトルを空けたり、お立ち台に突入したりしたかった。しかしシカゴはもうその感覚をMJ時代に味わった事のある場所だった、オークランドも野球のバッシュ・ブラザーズ(※カンセコとマグワイア時代)に味わった事のある場所だった。なんであの2人がいながら1回しか優勝してないんだろう?まじで。セルティックスは僕が最後にいて以来その感覚を味わった事が無い。私の目標はセルティックスがNBA史上最も多く優勝する事でそれを達成するまで寝ません、それは間違いない。

いつかはボストンに戻ってキャリアを終えようと決めていた。ただそれがいつになるかは想像していなかった。シーズンが終わった後は映画「22 Jump Street」を見に行った。その痕はポール・ラッドとエイミー・ポーラー主演の「They Came Together」を見に行った。楽しかったな。しかし私は2人の娘と1人の息子がいる。素敵な家族だ。徐々に自分の子供達をボストンで育てるのはどんな感じかって考えるようになったんだ。あ、繁華街というよりもメトロウェスト地域か街から20分くらい離れたところね。他のチームも考えたりはしたけど、ボストンでなければオークランドを去る決断はしなかっただろう。あ、シカゴもありかな。あ、ブルックリンも。ロサンゼルスでドックと再会も良いな。時間が経てば経つほど、それが正しい選択だと思う様になった。それがとても嬉しいんだ。

最後にボストンにいた時、ファンは言いたい放題だった。自分はもう力が残っていないと言われ、1 on 1を挑まれたりした。その挑戦はスカレンジと呼ばれていたけど、そういったファンはプレイでボコボコにしたよ。

ボールを持って彼らをのプライドを奪い、ホワイト・マンバがどれくらいの物か見せつけてやったよ。それからは手紙をくれたりサインを求められたりした。結婚式に招待してくるやつもいてそれはなんかちょっと気まずい感じになった。あのビル・シモンズ氏さえ私の復帰をしばらくの間望んでいた。ビルとは会って、1対1で話し合った。とことん話し合ったよ。ビルは今年のNBAドラフトの放送で激しくガッツポーズをとったりしていた。誰でも間違いは犯す事がある。私も過去に間違いを犯している。シカゴの放送でオマー・アシクの発音を間違えた事がある。恨みを持つ資格が私にはあるのだろうか?

優勝を確約する事はしない。優勝するという事がどれだけ大変な事か理解しているからね。まだ準備はできていない。もちろん来年優勝したいと思っているけど、私は現実的なんだ。ただのアナウンサーだもん、私に何ができる?2008年の時よりもよっぽど長い道程になるはずだ。私の忍耐が試されるだろう。それは理解している。とても若いチームと新しいコーチのいるチームに加わる事となる。自分がComcast SportsNetの若い奴という事になるんだ。隣には伝説的なマイク・ゴーマンがいて、史上最高の解説者トミー・ハインソンから学ぶことになる。まだ沢山学ばないといけない事は理解しているが、私は自分をチャンピオンとして見ていて、マーカス・スマートのダンクを分析する手助けが出来るって考えている。アウェイ戦をアナウンスする前にインターンにいっぱい調査してもらってケリー・オリニクをもっと上に引き上げる事が出来ると思う。最高なチームメイトの1人であるラジョン・ロンドとの再会もとても楽しみだ。ポール、KG、レイは全員去ったかもしれないけど、ロンドとホワイト・マンバはボストンに健在だ。とりあえず今は。

でもこれはロスターがどうとか、チームがどうとかそういう事ではないんだ。いやよく考えてみたらやっぱりチームがどうって話だわ。セルティックスより良いチームなんてあるか?自分のこの判定はバスケットボール以上のものだと思っている。判定、かけてるの気付いた?これを洒落っていうんだ。自分には導く責任があり、私はそれをとても真剣に受け止めている。ボストンの子供達、小学校にいる数百人の赤い髪をしたNBAで絶対将来プレイできなそうな子供達に、大人に成長するのにここより良い場所なんてないって思う様になって欲しいんだ。大学が終わったあと彼らは地元に戻って銀行に勤めたりするかもしれない。それを見たら私は笑顔がこぼれるだろう。これまで厳しい日々を送ってきた我々のコミュニティーは、いや、そうでもないな。2000年以降8度も優勝しているのは厳しい日々じゃないな。しかも昨年レッドソックスも優勝してるな。それくらい知ってるべきだった…でなんだっけ?ああそうだ、とりあえずボストンにまた優勝トロフィーを持ち帰りたいんだ。いやほんとに、また優勝パレードに参加して18個目の優勝旗を吊った後にレッド・アワーバックへのトリビュートとして馬鹿高いキューバ産のシガーを吸いたい。

ボストンでは与えられるものなんて存在しない。映画「ディパーテッド」でフランシス・コステロが「誰も与えてくれない。自分で掴まないといけない。」って言ってたシーンあったじゃん。あれ良かったよね。あれの舞台ボストンだよ。

スカレンジに挑む準備は出来た。ボストン、今から帰るよ。

8 Comments

  1. 通りすがりINDヲタ

    スカレンジはPGのケガで落ち込むINDヲタの心に光を灯してくれたんだ。それは間違いない。

    • BFiJ

      通りすがりINDヲタさん、コメントありがとうございます。
      PGの怪我を知った時は本当に悲しみで溢れてしまいました。
      この記事が何か気をそらすともとなってくれたのであれば嬉しいです。

  2. used

    いやー、笑った笑った。昼飯のご飯粒が鼻腔の奥に逆流してしまうくらい笑いました。

    こーゆーの、大好きです(笑)

    スカレンジは初めて見ましたが、中々ガチな企画なんですね。ド頭でタフなショットを決められて、気合いが入ったんでしょうか。その後の攻勢を見るにつけ、「あぁ、現役のNBA選手がなんて大人気ない…」という思いの後に「でもこれ、全力なんじゃね?」と考えてしまい、もう一発笑ってしまいました(笑)

    彼のような愛され方をされた選手は極めて稀だと思いますし、そのキャラを活かして今後も賑わせてもらいたいですね。

    BFiJさん、Good Job☆

    • BFiJ

      usedさん、コメントありがとうございます。
      スカレンジは何度かやっているのでYouTubeで探すともっと出てくると思います。でもやっぱりプロ選手は違うんだなって思わせますよね。こんなポストムーヴできるんだって思ってしまいます(笑)。

      スカラさんはこれからも愛されキャラとしてキャリアを全うできそうですね。

  3. ニモ

    『コートサイドに無料で吸われて』は『座れて』、『マイアミにいったのは』は『シカゴにいったのは』、『Dリーグにに送られちゃってさ』は『Dリーグに』、『私はウォリアー図で』は『ウォリアーズ』、『なんであの2人がいなかがら』は『あの2人がいながら』、『マイアミを去る決断はしなかっただろう』は『オークランドを』、『ドックと再開も良いな』『レイジョン・ロンドとの再開』は『再会』、『オマー・アシクのを間違えた事がある』は『オマー・アシクの名前を間違えた』、『ただアナウンサーだもん』は『ただのアナウンサー』、『昨年ホワイトソックスも優勝してるな』は『レッドソックスも優勝』、『18個目の優勝旗を吊った痕に』は『吊った後に』、『映画「デパーテッド」』は『ディパーテッド』だと思うのでご確認ください。

    • BFiJ

      ニモさん、コメントありがとうございます。
      メチャクチャありますね(苦笑)。ご指摘ありがとうございます。

  4. gophxsuns

    つい最近から、こちらのブログを楽しく読ませて頂いております。
    いや〜こういうの良いですね!米国人のこういう笑いのセンス、大好きです。日本だとバッシングを受けがちなので、この手のユーモアがあまり無いんですよね。PGの怪我、PJのDUIと最近明るい話題が無かったので、尚更面白く感じました。またこういう記事等があったら、是非とも紹介お願いします。

    • BFiJ

      gophxsunsさん、コメントありがとうございます。
      アメリカこういう笑いのとりかた多いですよね!多分Saturday Night Liveみたいなパロディが多いコント番組が国民的番組として認知されているからなのかなーと思っています。

      また何か面白そうなものを見つけたら紹介したいと思います。これからもよろしくお願い致します!

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